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東城
とうじょう |
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奥備後の山間にある「たたら」で栄えた都市 |
広島県比婆郡東城町東城【庄原市東城町】2005年合併 |
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商家・町家・酒蔵・土蔵 なし JR芸備線・東城駅 |
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東城一の重厚な建物「三楽荘」は現役の旅館です(2010年廃業)
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広島県北東部、岡山県と接する奥深い山中に秘境の景勝地・帝釈峡があります。垂直に切り立った白い岩絶が約20km連なる大峡谷で「自然と遺跡の宝庫」とも言われています。
そして、この秘境のすぐそばに、古来より和鉄の山地として繁栄した古い街並みが残る東城という町があります。「東城」という地名は、南北朝時代に奴可郡を東西に分けた地域名にはじまり、当時は”東条”と書かれていましたが、その後中世にこの一帯を支配した宮氏の本城(西城)に対して支城の置かれた当地が東城と改称されました。
東城は古くから山陰と山陽を結ぶ街道が通り、備後・備中の国境の戦略的な要衝でもあって常に備後を支配した部将の有力な家臣がこの地に配されていました。
東城は古くから「東城、西城くろがねどころ」と謳われた鉄の集散地です。中国山地には和鉄の「たたら」を備えた村が数多くあり、これらの産地から集められた鉄は、街道や高瀬舟の水運で成羽や松山(備中高梁)を経由して倉敷に運ばれ、大阪方面へ出荷されました。江戸時代の最盛期には16軒もの鉄問屋が軒を連ねたといいます。
東城は江戸期以降も城下町として存続しました。関ヶ原の戦い後に広島藩に入封した福島正則は、家老長尾隼人を東城に配し、福島家改易後に入った浅野家も家老浅野孫左衛門高英を置き、以後東城浅野家の城下町として明治まで続きます。陣屋は旧東城町役場、現在の東城支所にありました。
東城の町の中央にある旧街道の桝形、そしてこの小さな町に三軒もの酒蔵。これだけでこの町がただ者では無いことが伺えますが、さらに実際に古い街並みや重厚な文化財級の建物が残ります。建物の年式は江戸期から明治、大正とさまざまでほとんどは現役。ノスタルジック漂う町の一画に建つ、本陣をも思わせる重厚な建物「三楽荘」は。なんと現役の旅館。しかも一人旅可で料金も安い。宿泊の予定を組まずに訪れ、町を去ったことが唯一の心残りです。(そして惜しくも2010年3月に廃業してしまいました) |
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「三楽荘」は庄原市に寄贈され現在修復中です |
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■東城の酒蔵 |
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清酒 |
「菊文明」 |
北村醸造場 |
広島県比婆郡東城町東城356 |
08477-2-0009 |
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清酒 |
「超群」 |
生熊酒造 |
広島県比婆郡東城町東城43-1 |
08477-2-0056 |
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清酒 |
「浮心」 |
浮心酒造 |
広島県比婆郡東城町東城146-1 |
08477-2-0040 |
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