丹波篠山市街から東の郊外、京都府との県境である天引峠の麓に福住という集落があります。かつての篠山と京を結ぶ篠山街道の宿場町で、江戸時代には本陣・脇本陣も置かれました。
ところで、古代より「山陰道」は現在の国道9号線に重なり、亀山から福知山へ至って、因幡や伯耆などの山陰諸国へ通ずる道筋でしたが、平安時代ごろの一時期だけ亀山から分岐して丹波篠山を経由するルートに変更されています。江戸期に再び元の道筋にもどされるまでは、篠山街道が山陰道と重なっていました。
篠山の河原町とならぶ妻入商家の街並みとして知られる福住。雪国ゆえに軒先に瓦庇が付いて一見入母屋造りにも見える建物。一部を除いて連続性はあまりありませんが建物の多くが「元造り酒屋」などかつての有力商家。当主を失い仕舞屋になりつつある状況が少し気になります。
アクセスの問題か人通りはほとんどありませんが、宿場町のたたずまいを残す町として、いろいろな媒体で紹介されており、市も整備保存に動き始めているものと思います。街道筋に建てられた市営住宅は白壁土蔵風にデザインされていました。
|