宝塚市中心部の少し外れに宿場町の面影を残す町並みが残っていました。残っていました、と過去形になっているのは、先の阪神大震災でその町並みの多くが失われてしまったからです。小浜宿は中国自動車道宝塚ICのすぐ脇にあり、閑静な住宅地の中心付近に宿場町の佇まいが保存整備されています。
小浜は三方を川に囲まれた丘陵上にあり、この天然の要害ゆえに南北朝期から戦国時代にかけて浄土真宗豪攝寺の寺内町・小浜御坊として発達しました。江戸時代になると西国街道(山陽道)の正式な宿場町として発展し、さらに大坂から有馬温泉に通じる湯ノ山街道や京伏見街道、西宮街道などが交差する交通の要衝として栄えます。さらに小浜は宿場町としてだけでなく、小浜流という独特の醸造法によって醸された小浜酒により、一大醸造地として名をはすようになります。しかし幕末に灘五卿が新たな一大醸造地として台頭してくると小浜宿の酒もそれに席巻され、完全にその姿を消してしまいました。
そして、現在小浜宿の町並みの中で奇跡的に残された伝統的な商家建築は、偶然にもかつてこの地で酒造業を営んでいた旧家の建物であり、宿場町と酒どころという二つの歴史を今に伝えているのです。
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