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若杉(わかす)地区の民家
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大野は鳥取県と接する養父郡南端の山村地帯。広大な町域を持つものの、その大半が山林で占められ、集落は大屋川とその支流である明延川沿いのわずかな土地に形成されています。道は険しい山々を縫うよう越えて南に播磨地方、西に鳥取へ通じます。
町の中心大屋市場では毎年お盆と年末に定期市が開かれていた場所ですが、町の端部には平家の落人伝説が伝承として残り、この地域も他の平家伝説が残る地域と同様に耕地に恵まれない住むには厳しい土地です。
大屋市場から南へ延びる明延川上流の和田地区は歴史の古い鉱山で、古くは奈良の大仏鋳造に用いられた銅を産出していたと言われます。銅はその後中絶し、変わって銀山となり、江戸時代には再び銅山として幕府直轄の経営となります。その後明治政府を経て三菱に払い下げられ、日本屈指の錫鉱山となって、最後は三井鉱山として幕を閉じます。大屋市場は鉱山町として栄えたようで、僻地にしては重厚な商家建築が数多く見られます。
大屋町域で広範囲に点在する小さな山村集落には、いずれも但馬地方特有の建築様式で建てられた建物が多く見られますが、その特徴は3階建てにあります。耕地に恵まれず、多湿多雨な環境のこの地でこのように立派な屋敷建築が多く見られるのは、江戸末期から明治にかけての養蚕業全盛の時代によるものです。
もともと農業で生計を立てる事が難しかった故に、養蚕に関する研究が盛んに行われると共に、最新の技術導入による生産性と品質の向上が常に行われていました。
3階建ての建物は飛騨の合掌造りや東日本の兜造り民家同様に、上層が養蚕の作業場となっており、採光の為の窓が平面だけでなく妻面にも設けられています。
集落の民家は軒を連ねず点在しているにもかかわらず、立派な卯建を備え、漆喰が嫌う多湿多雨な地域にもかかわらず漆喰が多様され、但馬特有の黄漆喰に窓の縁を白漆喰で装飾した建物は、筏地区・仲間地区を始め山深い部落にも見ることができます。
どこか不思議な世界に迷い込んだような秘境の風景でした。
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筏(いかだ)地区の民家 |
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