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養父郡の中心であった宿場町八鹿を過ぎた山陰道(国道9号線)は、八木川沿いに西へ進み、関宮から北へルートを変えて城下町村岡へ至ります。
現在の国道9号線は関宮の中心市街から八木川の支流八木谷川に沿って北西に進み、
2重ループ橋を駆け上がり、但馬トンネルを経て村岡市街へ至りますが、旧街道は関宮からさらに八木川に沿って西へ進み、小路頃(おじころ)から葛畑を経て、大野峠を越えて村岡へ至る道筋で、現在の県道福岡関宮線にあたります。
関宮という地名は、この地に関所が置かれていたわけではなく、古代伝承でこの地域に蔓延した疫病を、この地で塞き止めた事から、牛頭天王を祀った関神社(関の宮)に由来するといます。集落は国道の北側の山裾にそって形成されています。
但馬地方特有の黄漆喰にうだつを上げた伝統様式の民家が街村を形成しています。
関宮は山陰道の宿場町でありませんでしたが、街道沿いで旅人相手に半農半商の生活を営んでいた集落ではないかと思います。江戸時代初期に八木川上流で発見された中瀬金山はその後第2次大戦まで続きました。関宮はゴールドラッシュで栄えた町でもあるようで、町並みの中には1軒の酒蔵が今も現役で操業していました。
銀海酒造は明治30年創業の小さな酒蔵で、現在5代目の若き蔵元兼杜氏によって少量ながらも意欲的な酒造りが行われています。
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関宮の地酒「銀海」の銀海酒造 |
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