JR津山線・福渡駅から西へ約9km、旧御津郡加茂川町の中心、下加茂から北へ約3.5km。
標高350mの山間部にコロニーのような集落があります。岡山県で7番目に「ふるさと村」に指定された円城というこの集落は、かつてこの地域一帯における中心商業地区だったのです。
円城という地名は、この集落の中心であった円城寺に由来します。円城寺はここから約4km東にそびえる本宮山の山頂に、奈良時代に開基された正法寺に始まりますが、鎌倉時代の大火で焼失し、その翌年に現在の地に移転して再建され、名を円城寺と改称します。
当時の円城寺は現在のおよそ5〜6倍もあったと推測され、塔中十四ヶ坊、末寺六ヶ寺を数えたと伝えられます。円城はその門前町として発展しました。
円城寺と言えば「白狐」の奇跡で知られ、村外の幅広い地域に信者や檀徒を広げていきました。その押し寄せる参詣客によって、門前には酒屋、茶屋・旅篭や商店が軒を連ね、日用品の市も立ち、門前町は近郷商業の中心地へと発展していきました。江戸時代末期から明治初期にかけてが最盛期と言われ、その後も行政機関が置かれるなど、地形からは想像できないめまぐるしい発展を続けていきます。
しかし円城寺は火災や信仰離れによって次第に衰退を重ね、塔中末寺の多くを失い、現在は医王院(松本坊)と地蔵院(福蔵坊)の2ヶ寺を残すのみとなってしまいました。また、いずれも今は円城寺から独立しています。
時代の変化の中で、往時の姿はあらゆる物が、ほとんど失われていますが、それでも円城寺周辺には県の景観作りもあって、わずかな商家や古民家が残ります。
ただ、それよりもこの小さな山上の集落には郵便局はもちろん、近代的な小学校、幼稚園を始め農協の各センターや福祉施設があるなど、今もこの地域の中心である事に変わりはないようです。
ちなみに加茂川町は、2004年に上房郡賀陽町と合併して、吉備中央町となります。この際、2つの旧町名からそれぞれ1字を取って「加賀郡」が新設されました。
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