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  藤戸町
ふじとちょう
 岡山藩家老池田家の陣屋町
 岡山県倉敷市藤戸町天城

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:無
 
 

天領の町倉敷から南東へ僅か5kmほどの地にかつての陣屋町の街並みがあります。
藤戸町は倉敷川を挟んで岡山藩家老池田家の陣屋町である天城と高野山真言宗藤戸寺の門前町として発達した藤戸からなり、両者は藤戸大橋で結ばれています。
このあたりもかつては海で、児島側の藤戸と天城の島(広田島)の間は狭く潮流が早く波立つさまが、藤の花を連想させたことから”藤戸”と呼ばれました。

寛永9年(1632)岡山藩主池田光仲はわずか3才だった為に、鳥取池田家と入れ替えになり岡山藩には鳥取藩主池田光政が入封します。それにともない前鳥取藩家老池田由成が下津井城に入りますが、一国一城令により下津井城は破却され、あらたに岡山藩家老として3万2000石を拝領した池田由成は天城に陣屋を構えました。
陣屋を中心に家臣屋敷が配された典型的な陣屋町でしたが、倉敷川の舟運や下津井に通じる街道が通る交通の要衝として、次第に宿場町・河港町の性格を持つようになり、対岸の門前町藤戸と共に発展していきました。
さらに岡山藩によって在町に指定されると、その傾向は強まり藤戸大橋の周辺には在方商人の商家が立ち並びます。

現在倉敷天城高校が建つ場所が、かつて「お茶屋」と呼ばれた天城陣屋跡で、その麓に伝統的な商家の街並みが残ります。旧武家町通りと呼ばれる小路には厨子二階に虫籠窓を塗り込めた町家が軒を連ねますが、武家屋敷らしき建物は見受けられませんでした。
良く手入れがなされた綺麗な建物が立ち並んでいますが、街並みをしてはあまり意識されてはいない感じで、しかしその自然さが落ち着いたたたずまいを演出しているのかも知れません。