備中の城下町として知られる高梁市の西方に川上郡備中町という山間の小さな町があります。現在の字名では長屋と布賀にまたがる形で街村が形成されていますが、近代的造りの町役場とは対象に商店街すら無い過疎の集落がそこにありました。
この場所は藩政期には成羽川水運の拠点として繁栄した河港・在郷町「黒鳥」がそこにあり、現在も通称地名として黒鳥市場の名が残されています。明治まで谷と高原を上り下りする険路しかなかったこの地域では、やがて米や重量物の運搬に成羽川の水運が利用されるようになると、いくつもの河岸場が開発されるようになります。黒鳥もその河岸場の一つでした。この時期、備中松山(高梁)藩主を務めた水谷家は無嗣改易となり、遺領の一部を継いだ旗本水谷勝時3,000石の代官所である布賀(ふか)陣屋が川沿いの黒鳥に移転したことから現在の中心市街の基礎が造られました。
やがて黒島は一河港から市場町へと発展していきます。
人影の少ない小さな集落ですが、重厚な長屋門に洋風建築の旧病院、ところどころに見る土蔵に、伝統的建造物の中核となる文政6年
(1823)創業の赤木酒造などが、かろうじて古き時代の面影を物語っていました。
|