四国霊場八八ヶ所巡りは、この第87番札所長尾寺の後に南下して阿波との国境近くにある山間の第88番札所大窪寺で結願となります。長尾の町はこの長尾寺の門前町としてだけでなく諸街道の集まる陸上交通の要衝として発展しました。
JR高徳線の造田駅は町の中心から北東郊外に離れた田園地帯の中にありますが、琴平電鉄長尾線の長尾駅がこの町の玄関口です。町の起源となり、現在もお遍路さんで賑わう長尾寺は奈良時代に創建されたという古刹です。当初は真言宗でしたが、空海(弘法大師)によって霊場に定められた際に天台宗へと改められました。
第87番札所長尾寺の一つ前は、平賀源内の生地としても知られる志度町にある第86番札所志度寺で、この次の第88番札所である山中の大窪寺でお遍路の旅は結願となります。長尾は大窪寺と志度寺を南北に結ぶ阿波道と、東西に走る主要街道で上道もしくは「上大道」とも呼ばれた長尾街道が交差する要衝であり、長尾寺の門前には早くから旅籠や料理屋、商家が形成され参詣客だけでなく物資の集散地として賑わいました。
讃岐を東西に走る幹線街道はもう一つ、海岸線を走る志度街道(浜街道)があり、こちらは「下道」と呼ばれていました。
在郷町としても発展した長尾町には、明治14年に大内寒川郡役所が長尾寺内に置かれます。
明治32年に大川郡・寒川郡が廃止され、代わって大川郡が新設。大正6年に大川郡役所が長尾東に移転し官公庁も集まる大川郡の行政の中心地となりました。
明治45年には現在の琴平電鉄長尾線の前身である高松電気軌道が開通します。
こうした歴史を持つ長尾町ですが、門前を東西に走る長尾街道の旧道沿い家並みは、残念ながら密度が濃いとは言えず、空き地が目立ち、また伝統的な建物も数える程度しか見られませでした。お遍路のスタイルも変わり、参詣客相手の旅館や料理屋もほとんど姿を消してしまったようです。
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