古くから西讃の要港として、また西国方面からの訪れる金毘羅参りの玄関港として栄えた多度津には、江戸時代になると丸亀藩から分封された多度津藩1万石の陣屋町としての性格も加わります。多度津藩は元禄7年(1694)に成立しますが、当初は陣屋は置かれず藩主は丸亀藩丸亀城内の居館で行政を行っていました。陣屋が築かれるのは133年後の文政10年(1827)4代藩主のときになってからで、現在陣屋は残ってはおりませんが、家臣屋敷の面影が家中地区に見ることができます。
多度津が西讃一の本格的な商業港としての地位を確立するのは江戸時代後半の天保5年(1834)、地元の豪商の進言により4年の歳月と総工費6.200両の資金を投じて民間のみの力により港湾整備を行ったことによります。
時は変わり現在の多度津港は産業構造の変化によって、すっかり静かな港町となってしまいました。しかしそれによって古い街並みが残される事にもなりました。
本通地区には酒蔵や商家の街並みが、西浜地区にはこんぴら参りの玄関港として旅籠の街並みが残っており、町全域にも至る所に古い街並みが点在していました。
(2006.8) |