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  入来
いりき
 北薩の要衝・山間の小さな麓武家屋敷
 鹿児島県薩摩郡入来町裏之名(うらのみょう)麓

 構成:武家屋敷(門・塀) ■ 駐車場:観光P

 

薩摩藩独自の制度で幕府をも恐れさせた「外城(とじょう)」というものがありました。領内の防衛線として設けられた武士の駐屯地で、当然幕府の一国一城制で禁じられいました。外城の武士は農作業を行う半農半士の屯田兵であり、その「外城」は薩摩藩領内になんと133カ所もあったとされています。入来は古くから入来地方の中心地にして大隅国との要衝であり、また鹿児島市街から最も近い北薩の拠点として重要視され6つの外城と藩庁である「麓(府本)」がおかれていました。府本を麓と称するなど、対幕府の言い逃れ術の集大成です。

中世よりこの地を治めていた地頭入来院氏は、薩摩島津氏との長い対立のすえ和解し島津氏御家門として引き続きこの地に私領を与えられました。入来地方は入来院氏の私領と藩直轄地からなり島津氏家臣約200人が駐屯していました。当初は双方の境界線が曖昧でたびたび紛争が起きていましたが、入来院氏はかつて清色城があった場所に居館と家中屋敷を配して「麓」とし、藩はその周辺にいくつもの外城を設け藩士を移転させました。

現在清色城跡は入来小学校となっていますが、武家屋敷地区は集落を縦貫する旧国道の中之馬場に沿った碁盤の目に整然と区画されて残っています。薩摩独特の丸い河原石を積み上げた石垣の上に生垣を置いた家並みは、そこからさらに山の斜面にまで広がっており、茅葺きをはじめとした様々な形の個性豊かな生垣門構えが入来独特の個性を出していました。