八代海の対岸に天草諸島を臨む海岸沿いの温泉地・日奈久。600年の歴史を誇る熊本県下有数の古い温泉地であり、稀少な木造3階建てや土蔵造りの旅館や風情ある石畳があるなど、是非とも訪れたい町でした。泉質はラジウムを含む単純・弱食塩泉。
日奈久温泉は今から約600年前の室町時代、応永16年(1409)浜田六郎左衛門が父親の刀傷を癒そうと海岸に湧き出る温泉を発見した事にはじまるといいます。
初めは「孝感湯」のちに「本湯」と呼ばれるようになり、江戸時代には熊本藩細川氏の藩営温泉として整備され、大浴場が設けられます。
日奈久温泉は薩摩街道筋にあり、この街道は南九州諸藩大名の参勤交代のルートで、大名も参勤交代の折にはよく利用しました。ちなみに薩摩藩は鹿児島から海路でこの日奈久に立ち寄ります。
日奈久は九州山地の断層崖下にへばりつくような海岸縁のわずかな土地に形成されていましたが、江戸期から大正期にかけて行われた埋立拡張により現在の姿へと変わっていきますが、古くからの温泉街はやはり国道の東側、山沿いの狭い範囲にひしめくように建っています。
幕末の日奈久港は外国船が入港する国際港で、さらに鹿児島本線の開通により、一大観光保養地として栄えますが、それもつかの間。湯量の減少や利用客のニーズの変化によって高層ホテル群は衰退。町は廃旅館が目立つゴーストタウンと化してしまっています。大型旅館が相次いで廃業するなか、日奈久には数多くの民宿クラスの旅館があります。車の通行が困難な狭い区画の為に静かさが守られていますが、人影の少なさはそれを通りこして郷愁感すら感じます。
日奈久のシンボル的旅館はなんといっても、木造3階建ての「金波楼」です。桃山様式の庭園も持つ歴史あるこの旅館の創業は明治43年。日中戦争時には日奈久にも陸軍病院が設けられ、旅館「金波楼」は傷痍軍人の療養本部として使用された歴史も持ちます。値段も普通の旅館なみで、次ぎに訪れた際にはぜひこの旅館に泊まり、この小さな温泉町をゆっくりと「探検」してみたいものです。
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