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飯能
はんのう
 江戸の木材を支えた町
 埼玉県飯能市本町・山手町・仲町
商家・土蔵・旅館建築  なし  西武池袋線・飯能駅/JR八高線・東飯能駅
 
 
埼玉県の南西端に位置する飯能は西武池袋線の終点駅で、ここからスイッチバックして西武秩父線が正丸峠を抜け関東の奥座敷として有名な石灰と霊場の町、秩父まで運行します。(※西武池袋線の正式な分岐点は飯能と秩父の中間にある吾野駅ですが、現在は事実上の運行分岐点となっています)

現在も入間郡の中心地都市として発展している飯能は、駅前を中心に都市化が進んでおり、市域が東京のベッドタウンと化しているこの町で、まさか古い街並みが残っているとは思いもよりませんでした。 しかし、駅から徒歩10分ほどの場所にある、旧秩父往還沿いに商家の家並みをかろうじて残していました。

飯能は入間川の谷口集落として形成され、古くから交通の要衝であり、この地域一帯における物資の集散地として六斎市が開かれ、次第に在郷町として発展していきました。江戸時代からは大都市・江戸の町を支える「西川材」ブランドの杉や檜の産地であり、木材・織物のまちとして繁栄してきました。また秩父往還が通る宿場町・市場町としても賑わいます。

市政施行する前の飯能を含むこの一帯の高麗(こま)郡という地名は、奈良時代に高度な文化技術を有した朝鮮(高麗)からの渡来人を移住させた事に由来するといいます。朝鮮語で大きな集落のことを「ハンナラ」といい、それが飯能の地名の由来とも言われていますが、諸説がいくつもあり、正確なところは分かりません。

奥武蔵とも呼ばれたこの「僻地」が大きく繁栄するのは江戸時代になってからの事。当時世界最大の都市とも言われている江戸の町の急速な人口増加と都市建設、さらに頻繁に江戸を襲った大火によって、その木材需要の供給地としてこの飯能では林業が主産業となり木材の集散地となっていくのです。そしてそれは「飯能は江戸の大火を引き受ける」といわれるほどに成長していきます。

「西川材」というブランドですが、この地域に西川という地名はありません。飯能の後背地で切り出された木材は、筏を組んで川を下って運ばれました。材木問屋がある千住まで約5日を有したといいますが、「江戸の西の川から来る木材」ということから「西川材」と呼ばれるようになり、さらにその後、この地方(飯能市のほか越生町、毛呂山町、日高市)が「西川地方」と呼ばれるようになります。

西川材の筏流しは、大正時代に開通する武蔵野鉄道(現・西武池袋線)のによって衰退していきますが、鉄道による安定した大量輸送によって木材の町・飯能はより一層繁栄していくことになります。
 
飯能市の指定有形文化財の「絹甚」は明治の築で飯能で唯一のうだつを上げる店蔵
 
 
 
 
 
街道に並行する裏筋には料亭を営む風情のある建物が多い