佐渡島の大きく南に着きだした方辺の先端、小木半島の海岸線は入り組んだリアス式海岸が続きます。その中の小さな入江の一つに隠された、かつての船大工集団の集落があります。
宿根木という名のその集落は、今や国の重要伝統的建造物保存地区(重伝建)にも指定されて、佐渡の中でも最も有名な観光スポットになってしまい、連日多くの観光客が訪れます。
集落の前に広がる宿根木港は、はたして”港”と呼べるものかどうか疑わしいほどの、天然の岩礁そのままの入江に防波堤と駐車場と化している小さな岸壁があるだけのものですが、古く中世ごろまでは、南佐渡における中心的な商港であったとか。
もっとも、江戸時代以降の相川から搬出された運上金銀の搬出や資材の搬入、さらに北前船(西廻り航路)の寄港地としては限界があったようで、小木や赤泊にその役割が移ると、港町としての宿根木は衰退していきます。
しかし宿根木は、舟持ち(舟主)、水主、舟大工などが居住する特異な集落として存続します。江戸中期の記録では千石船を8隻も所有し、水主の数は100人を超えたとか。
また幕末期の史料では船大工の棟梁3人、船大工31人」とあります。
宿根木は小さな入江の100を越える高密度の集落ですが、初めは入江の最奥に十数戸ほどの集落でしたが、人口の増加と共に海を埋立て拡張していきます。(弥光寺川の自然堆積もある)また一方で農地を求めて山側にも枝村が広がっていきました。集落の拡張は無秩序に行われてはおらず、時代時代に「区画」単位で形成されていて、その区画ごとに時代や建築様式を見ることができます。
船大工の里ゆえに、宿根木の民家には造船技術が使われているとも言われていますが、実際には俗説のようです。しかし、役目を終えた船舶の部材が民家に再利用されているのは確かであり、それは船舶に使用される木材の耐久性の高さによるものです。
国の重伝建でもある佐渡有数の観光地でもある宿根木ですが、離島ゆえに総体的に観光客に限界があるためか、修復や修景のスピードはあまり早くは無いようで、また修景作業においても本州の宿場町や城下町のように伝統様式に近づけるような所まではいかないようで、予算の問題もあってか、やや大雑把な印象を受けます。
ただし、佐渡全体として古い町並みが急速に失われていく現状の中では、最も見応えのある集落である事に変わりはありません。
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