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  鹿島路
かしまじ
 邑知潟湖岸・七尾街道西往来沿いの街道集落
 石川県羽咋市鹿島路町

 構成:商家・伝統様式民家土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

羽咋市の北端部に位置する鹿島路町は、七尾街道のひとつ西往来沿いに形成された街村で、山側の集落を通り抜ける旧道沿いに古い家並みが残されています。
JR七尾線に駅はなく、西の千路(ちじ)駅と東の金丸駅に挟まれた地域です。
鹿島路という地名は鹿島郡へ通じる街道から名付けられたものでしょうか。
この西往来の旧道沿いには、この先七尾方面へ能登部下西馬場良川、の各集落にかけて往時を偲ばせるような伝統的な家並みが続きます。
西往来沿いの集落は農業と機織り業が主な産業でしたが、鹿島路は唯一邑知潟における専用漁業権を有していた半農半漁の集落でした。邑智潟は水深が1mにも満たない沼に違い潟湖でこの潟で捕れたフナやボラは金沢城下へ、エビ・雑漁などは近郊地域へ売り出していました。また肥料用に藻草を採取して近郷農家へ販売していました。

しかしこの邑知潟は古来より、洪水時には子浦川の逆流、高潮時には塩水の遡上といった、水害や塩害の被害を引き起こし続けていました。さらに地溝帯なるが故に河川が少ない事から晴天が続けば用水不足にも悩まされていました。
この水害への対策として、羽咋川河口に逆水門の建設が大正期から始められ、昭和初期に完成します。これにより水害や塩害の被害は解決されましたが、今度は生態系に悪影響を及ぼし、邑知潟の漁業は衰退を余儀なくされ、代価となる農地確保の為に邑知潟の干拓農地化が行われました。
もっともこの邑知潟の干拓農地化は江戸時代から細々と行われており、飯山川と酒井川の合流付近一帯、堀替新町などはその時代に生まれた農地です。