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江戸期に北国街道の宿場町として栄えた滑川市の旧市街。主要地方道富山魚津線は旧北国街道のそれで、旧滑川宿の西に隣接する地区が加島町です。鹿島町は通称、南町(1区)堺町(2区)西町(3区)からなる北国街道沿いに形成された街村で、地名の由来は市内第2の大社である郷社加積雪嶋神社にちなみます。
この加積雪嶋神社の向かいに建つ大岩道独勝寺の前には文化8年に作られた、追分の道しるべが今も残ります。
北国街道から分岐する霊峰立山信仰の道「立山道」の一つ、五百石往還の分岐点を示すもので、当時は少し離れた場所にあったと言われています。
現在の県道61号・滑川上市線が直角に折れ曲がる付近にあったのでしょうか?
立山信仰は、奈良・平安時代頃から僧侶や修験者によってその基礎が築かれました。江戸時代には一般庶民の信仰登山も認められ、地元はもとより東北や関東からの登拝者の多くが、北国街道を辿り、このような道しるべを頼りに大岩や立山山頂を目指したといいます。
加島町には今も一軒の酒蔵が滑川寄りにあります。この少し先にある加積雪嶋神社付近から県道が分かれているのですが、北国街道から一本南側のこの細い道沿いにも、伝統的な家並みが見られました。もちろん北国街道沿いにも、街道に沿った町並みらしい、袖壁を持った切妻平入りの家並みが続いています。 |
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北国街道から一本入った裏路地にも家並みがある |
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立山道(大岩道)の分岐付近 |
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