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  小杉
こすぎ
 越中最大規模の北国街道の宿場町
 富山県射水郡小杉町三ヶ・戸破 【富山県射水市三ヶ・戸破】2005年合併

 構成:厨子二階商家・土蔵造り商家・洋風建築 ■ 駐車場:なし
 
 
富山市と新湊市に挟まれた小杉町は、江戸初期に北国街道の宿場町として発達した町でした。
古くから小杉は、越中の平野部と海岸線を結ぶ諸街道が縦横に通り、戦国時代頃からすでに街道沿いの要地として町並みが形成され市が許されていました。
しかし、小杉が急速に発展するのは江戸時代に入ってからの事。明暦4年(1658)北国街道のルート変更に伴い、新道に沿った小杉新町が誕生し、隣りの下村と共に加賀藩の宿場町に認可された事に始まります。

江戸初期の北国街道は南へ約2kmほどの場所を通る、後の中田往来(中田通)もしくは上使街道とも呼ばれる、現在の現在の主要地方道富山戸出小矢部線です。
寛永16年(1639)加賀藩から大聖寺藩と富山藩が分封し、現在の富山市に富山城が築城されるにあたって、城下を迂回する道が建設されました。これが高岡を出て大門宿から小杉宿ー下村宿を経て東岩瀬に至る後期北国街道です。
中世市場町の地盤を引き継ぎ、下条川を境に東町(戸破・へわり)と西町(三ヶ・さんが)の2町からなる規模で、2・5・8の九歳市も認可されました。まさ町には本陣、高札場の他に砺波射水郡奉行が置かれ、政治経済・流通の中心として、町はその後も拡張を続け、江戸末期には450軒の家数となりました。

明治になり宿駅制が廃され、小杉は農村部の中心在郷町となりますが、その後北陸本線の小杉駅の開設、昭和初期の国道8号線(現在は主要地方道・富山高岡線)の建設によって再生の機会を得ます。

初期の国道8号線が旧北国街道の南側に新たに引かれた為に、町の中心はその国道沿いに移りましたが、その結果旧道沿いには古い家並みが残されることになったようです。空から見ると、旧道に沿って「うなぎの寝床」のような家並みが連なっていますが、実際街道に立つと家々の更新は進んでおり、古い伝統的な建築物はまり残されていませんでしたが、それでも所々に見られる商家建築や洋風建築は保存の手が加えられていました。
かつては造り酒屋を営んでした酒販店が建ち並ぶ戸破地区は、再開発に合わせて往時の面影を残す町並みが「整備」中のようです。いっぽう、蛇行する旧北国街道沿いに家々が密集する三ヶ地区には、明治期の重厚な商家やかつて酒蔵を営んでいた旧家などが残されていました。
戸破荒町の旧森永酒店は大正期築で現在はアートスペース
旧小杉郵便局
小杉展示館は旧小杉貯金銀行(後に北陸銀行小杉支店)で国の有形文化財
三ケ諏訪町に残る旧赤壁屋酒店