旧湖北町の中心地である速水は江戸時代に旧北国街道に沿って発展した町です。湖北町の中央部を南北に走る北国街道(現在の国道8号線)に沿って貫流する高時川の急流にその地名が由来するともいわれるこの町は、国道8号線が強引な弧を描いて旧市街地を避けるように迂回している為、古い街道筋の家並みがそっくりそのまま残る事となりました。しかし、後述する理由によって町は明治期の速い時代に大きく衰退していき、現在までの長い間に古い町並みは新しい住宅へと姿を変えていきました。
この地域は平安期から近世にかけて速水荘という名の荘園で、江戸時代には淀藩領速水村となります。明治後期には養蚕製造で繁栄し最盛期には福井県から女工を雇い入れていたほどの勢いでした。また江戸時代の速水は北国街道筋にあり、正式な宿場町ではありませんでしたが地域の中心的な存在でした。それを引き継いで明治期になってからも郵便取扱所や長浜警察所第3屯所、郡役所に裁判所の出張所などの行政機関が置かれ、東浅井郡における行政の中心として発展していきました。
しかし、町の転機は明治を迎えた頃に訪れます。明治15年に北陸本線が開通し、その駅が虎姫町に置かれると行政施設は皆そちらに移転してしまったのです。速水がある旧・湖北町に河毛駅が設けられるのは戦後になってからの事。現在も速水には湖北町役場、郵便局に小中学校がある町の中心ではあるものの、旧道に沿った往時の中心市街からはいずれも離れた場所にあります。現在は街村形態の住宅地に数軒の旧家や古い家並みがまばらに残る程度しかありません。
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