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中立売通
なかだちうりどうり
 かつて御所と聚楽第を結んだ秀吉の道
 京都府京都市区東町〜三軒町 (烏丸通-七本松通)
 
 
 

一条通の一本南側を走る中立売通は、西陣の上立売通と同じ頃成立したと思われ、同じく店舗を持たず、道端で立って商いをしていた呉服の「立売」商人から来ていると言われています。平安京の正親町小路(おおぎまちこうじ)にあたり、道幅は4丈(約12m)でした。
現在の中立売通は御所の西側、烏丸通の中立売御門から西へ約1.8km。七本松通で一条通に接続します。

当初、この通りは烏丸通から東も道がありましたが、御所の建設によって消滅。さらに大宮通から西も豊臣秀吉の聚楽第建設によって失われてしまいます。中立売通は御所の内裏と聚楽第を一直線に結ぶ秀吉の権力の象徴でした。
しかし聚楽第は豊臣家の内紛によって、わずか8年で徹底的に破却されてしまいました。これにより大宮通から西への延伸が江戸期に再開し現在に至る烏丸通から千本通までが開通したのです。さらに明治26年に六軒町通から七本松通まで斜めに延伸され、一条通と合流。明治33年から昭和36年まで堀川通以西を狭軌の市電が通っていました。その為堀川通りから西の道幅は広いのです。

古い伝統的な町家は堀川通から大宮通の間にわずかに残る程度です。堀川通から御所の烏丸通までの中立売通はブロック舗装された一方通行のコミュニティーロードとなっています。

 
 
 
 
中立売通と小川通との辻