京都御所西側の中立売御門から西へ延びる中立売通の一本南を走るのが上長者通で、平安京時代には土御門通(土御門大路)や上東門通(じょうとうもん)といいました。当時の道幅は10丈(約30m)もある大通りで、平安京大内裏の上東門から東へ伸びる道でした。
応仁の乱など戦乱で荒廃しましたが、豊臣秀吉の洛中改造事業の際に、烏丸通から七本松通に至る約2.1kmの道が整備されました。やがて江戸期ごろから、この通りに豪商の邸宅があった事から通りの名が生まれたといいます。さらに南を走る、中長者町通、下長者町通も同じ頃整備されて生まれた道です。
かつて幅が30mmあった通も、現在は住宅地の中を走る小さな生活道路の様相です。烏丸通から堀川通で道は、少し南に30mほどずれます。堀川通は横断できず、中立売通か下長者町通の交差点を利用、堀川通沿いの商店街のアーケードの中にかくれた小さな路地が西へと延びる延長です。道は西へ行くほどさらに狭くなりますが、このへんから伝統的な町家がちらほらと見えてきます。そして千本通を越えると、かつての花街・五番町にある千本日活に突き当たります。道は実質的にここで終わりですが、実はこの先、千本日活の裏側にわずかにその断片が残されているのです。
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