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塩小路通
しおこうじどおり
 京都の表玄関前を走る通り(八条坊門小路)
 京都府京都市下京区上之町〜本瓦町(大宮通ー東大路通)
 
 
 

現在の五条通と河原町通、六条通が囲う一体にその昔、平安京の時代に六条河原院という邸宅がありました。ちなみにこの時代、五条通は六条坊門小路と呼ばれています。
この六条河原院を築いたのが、紫式部『源氏物語』の主人公、光源氏の実在モデルとも言われる源融(みなものとのとおる)です。

この六条河原院では陸奥国塩竈(現在の宮城県)の風景を模して庭園を作り、尼崎から毎月30石の海水を運んで塩焼きを行い楽しんだと言われています。この海水を運んだ路である事に由来すると言われるのが”塩小路”なのです。

ただし、現在京都駅前を南北に走る「塩小路通」は平安京の塩小路ではありません。当時この路は八条坊門小路と呼ばれていました。そして当時の塩小路は現在の木津屋橋通にあたります。

この通の名が入れ替わったのは、豊臣秀吉による洛中改造が行われた天正年間だと思われますが定かではありません。江戸時代には三哲通とも呼ばれており、京の通り名の唄にも歌われています。(ただしその順序が現在と異なり、不明な点が多い)

塩小路通の東は東大路通から三十三間堂の南側、そして京都駅前を通り大宮通に至る約2.2kmの路ですが、旧国鉄梅小路貨物駅(現在の梅小路公園・JR梅小路蒸気機関車館)JR山陰本線を越えた西にも路は続き西高瀬川西通に至ります。この区間は西塩小路通と呼ばれ区別されている場合もあります。

ちなみに三哲通の「三哲」とは現在の塩小路大宮東入にある浄土宗鎮西派知恩院龍岸寺を開祖した僧侶・三哲に由来するといいますが、その他に江戸時代に幕府天文方を務めた安井算哲の子の渋川算哲に由来するというもあります。算哲→三哲ですが、前者の説の方が有力だと思います。

 
三十三間堂付近に往時の町並みが残ります
古い町家は開発の波に飲み込まれながら、日々その姿を消していきます
 
京都の玄関口・京都駅前を通る塩小路通