諏訪町通は「すわまちどおり」ではなく「すわんちょうどおり」と訛って読みます。路は烏丸通の1筋東を南北に走る両替町通の南の延長線上にあります。四条通と五条通の間、高辻通の京都銀行本店裏から南は東本願寺の北端の花屋町通まで続く約750m。 的場通との交差点付近にある諏訪神社が通り名の由来です。
江戸時代初期、六条通付近に「六条三筋町」と呼ばれる公許の遊郭がありました。豊臣秀吉が開いた遊郭「二条柳町」を徳川家康が移転したものですが、その後都の西端、朱雀野付近へと移転されます。これが有名な「嶋原」遊郭です。
ちなみに、諏訪町通が始まる南端部に骨屋町という地名があります。この骨屋とは人の骨では無く、扇子の骨の事。骨屋職人が集まる職人町でしたが、その後は六角堂の門前町とする巡礼者を対象にした旅館街へと姿を変えていったといいます。 |