大和大路通は鴨川の東、川端通から数えて五筋目の通りで、「大路」という名が付いているものの、開通時期は不明。三条通から始まり、JR東海道線を越えて泉涌寺通の一ノ橋で西に折れ、本町通に合流する路です。本町通はその先で伏見街道につながります。
この伏見街道、は伏見から先、巨椋池の小倉堤上を通り、木津川を泉大橋で渡り大和国(奈良)に至る道である事から大和街道とも呼ばれていました。
通りの名は、この大和街道に通じている事に由来すると思われます。
現在三条通から四条通までの区間を「縄手通」と呼びますが、この”縄手”とは鴨川の堤防の意味で、それに沿っていたことに由来します。元禄年間までは「祇園縄手通」の名が一般的でした。
また「京羽二重」によると、三条通〜四条通間を縄手通、四条通〜五条通間を建仁寺通、五条通以南を大仏仁王門通と細かく分けられた名称で呼ばれていました。大仏仁王門の名は、大和大路通り沿いにある方広寺の大仏に由来します。ちなみに左京区にある仁王門通とは、まったく関係がありません。
同じく方広寺の大仏前から始まる事に由来する「正面通」との交差点付近だけは、それぞれの路とも幅が広くなっています。
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