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五番町通
ごばんちょうどおり
 秀吉の家臣町から始まり西陣有数の花街として栄えた町と通り
 京都府京都市上京区五番町・六番町 (仁和寺街道ー出水通)
 
 
 
五番町通は織物の町として知られる西陣の西端、千本通から西へ1本目にある南北の路で、
北は仁和寺街道から南は出水通まで至る、五番町と六番町を貫通する短い通りです。
古い資料の「宝暦町鑑」には六番町通とありますが、ほとんどの時代は五番町通の名で呼ばれています。この通りの途中からは東へ上長者町通下長者町通が始まります。

この五番町・六番町という数字の番付は、豊臣秀吉の聚楽第造営に際して形成された7つ武家町に由来します。その後、聚楽第が破却後されてからは荒廃。跡地には寺院が移転して門前町を形成されます。さらに宝永5年の大火によって御所の拡張が行われ、この時御所に取り込まれる町の住民の多くが代換地としてこの地に移転し町場へと発展していきました。
本格的に町が形成されるのは江戸中期ごろからで、現在もこの通りに店を構えるスッポン料理の老舗・大市もこの時移転してきたそうです。

加えて、この路は愛宕山や北野神社への参詣道筋にもあたり、寛政年間ごろから茶屋が増え始め、やがてそれは花街の様相を帯び初めていきます。寛政2年に遊女商売が公許され、島原の支配を受けて本格的な花街としてスタート。西陣の職工達の手頃な遊び場として繁栄していき、島原の支配から独立して歩み始めた、明治初年には五番町の茶屋だけで33軒を数えるほどになります。この五番町遊郭は五番町だけではなく、この地域一帯の総称となっていきました。映画の舞台にもなったこの五番町遊郭も昭和33年の公娼制度廃止によってその幕を閉じました。すでに通りは住宅地へと変わっていきましたが、通りに1軒だけ残る映画館「千本日活」はロマンポルノを上映していて、この町の唯一の名残とも言えます。
 
 
 
かつてはこの近隣に数多くの劇場がありましたが、現在はこの1軒のみ