河合町は大和盆地の中西部、王寺町に接する人口1万8000人ほどの町です。古くから稲作を中心とした耕作地域ですが、大和川に接する川合はには市場という地名も残ります。奈良盆地を流れる諸河川がこの付近一帯で合流して大和川となり広大な河原を形成していることが地名の由来でし。現在大和川と曽我川の合流点にある広瀬神社は、江戸時代には大和川の中州に鎮座していたといいます。市場という地名が残る場所は、大和川に掛かる御幸橋(みゆきばし)の南詰め東側にあり、今も古い町並みが少しですが残されていました。
現在の御幸大橋(みゆきおおはし)が掛けられる以前は、対岸の笠目(安堵町)との往来の為に御幸瀬 ノ渡(ごこがせのわたし)があって明治の初めまで続いていました。川合は大和と河内を結ぶ大動脈 である大和川水運の発達によって古くから栄えた集落で、江戸時代には魚梁船 (やなぶね) を使った舟運による荷揚げ場や舟問屋もここに あり「川合浜」とも呼ばれていたのです。
|