一路一会古い町並みと集落・山陰>島根>上阿井

上阿井

かみあい

出雲備後国境に位置する”たたら製鉄”で栄えた小さな町

島根県仁多郡奥出雲町上阿井 【旧・仁多郡仁多町2005年合併】

 



島根県の中央南部、仁多郡奥出雲町(旧仁多町)の中心市街である三成から国道432号線を南へ約10km。王貫峠を経て備後(広島県)に繋がる、同町最南端の町集落が今もなお往時の面影を残す上阿井地区です。
阿井川の河岸段丘上に形成され、古くは出雲備後道と呼ばれた旧街道に沿い、また宇月峠を経て吉田村に至る道の分岐点に位置するこの上阿井集落の歴史は古く、古代 「出雲風土記」にはすでに「阿伊村」の名が見え、中世には「阿位郷」と文献に記されています。



この地域は古来より和鉄の産地で、阿井地区には5箇所もの鉄山が存在し、戦国期にはこの地を領有した毛利輝元が阿井に鈩(たたら)奉行を置いていました。江戸時代になると阿井村は上阿井村と下阿井村に分かれ、政治の中心地となる上阿井には松江藩の目代(代官)と共に御役目屋敷が20軒も置かれます。街道の要衝にして”たたら製鉄”を支える町として共に栄えてきた上阿井村の家数は358戸にも及びます。この町の主な産業はたたら製鉄に用いられる炭薪業50軒の他、諸商業が30軒もあり、出雲備後国境に位置する在郷町として発展していたようです。



上阿井集落の北端、阿井川を見下ろす場所に、かつて鉄師頭取を務めた桜井家住宅があります。文化財にも指定され今もなお往時の盛況ぶりを偲ばせる旧家である桜井家は江戸時代前期に屋号を「可部屋」と称して鉄山業を営み、郡内で同じく製鉄業を営む絲原家・卜蔵家・吉田村の田部家と共に、奥出雲で4鉄師として数えられ、宝暦5年(1755)には鉄師株仲間の代表である「鉄師頭取」職を松江藩より拝命してこの地の鉄山業を取り仕切ったのです。その後も明治・大正期を経て和鉄生産の衰退していく中でも依然水田地主・山林地主として存続し、また”たたら製鉄”用に生産されていた炭薪を家庭用にと切り替え、昭和30年代の燃料革命が到来するまでの長きに渡って木炭王国島根の一翼を担っていたのです。



上阿井集落はこの桜井家の邸宅に向かい入れられ、旧街道沿いに沿って往時を偲ばせる家並みが続きます。しかし、過疎化が激しく空き家となっている家も多く、高齢化の波も合わさるこの集落はひっそりと静まり帰り、静かに消えていく運命を見つめているようでした。





街道の合流地は河川の合流地でもあります

酒蔵情報

清酒

「仁多米」

奥出雲酒造

島根県仁多郡奥出雲町亀嵩1380-1

0854-57-0888