合併前の旧飯南郡赤来町の名は出雲最奥の宿場町と市場町として発展した、赤名村と来島村が合併した際にお互いの一字を合わせた名でした。下来島の野萱(のがや)地区は国道54号線(旧出雲街道)の旧道沿いに古い町並みを残しています。三日市という地名もあって、この集落が市場町として発展した事が伺えます。
来島の地名は「出雲風土記」にも見られる古い名で、古代神話の伎自麻都美命に由来する伎自麻と初めの頃は書かれていましたが、神亀3年に現在の来島に改められたといわれます。江戸期は大半が広瀬藩の支配で、出雲今市道と岩鉏(いわすき)川に沿って街村を形成、中世以降はたたら製鉄が盛んで、来島の永田家は広瀬藩内で最大規模の鉄山師で、村の内外に多くの鉄山を有していたといいます。出雲街道と出雲今市道が分岐する交通の要衝でもあり、江戸期には牛馬市が開かれ、地域における商品経済の中心地でもありました。
現在も地域の中心商店街である下来島野萱は、ゆるやかな斜面に蛇行する旧道に沿って立ち並ぶ、街道風情を偲ばせる家並み。建物はほとんどが昭和に入ってからのものと思われますが、旅館が多い事におどろかされます。おそらく街道を行き来する旅人や商人では無く、中国電力来島ダムの関係者が主な宿泊客だと思われます。
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