松本川(阿武川)左岸の土原地区はJR東萩駅から松本川を渡って最初の地区で、萩観光の玄関口でもあります。江戸期に松村長助という農民が古川筋開削の際にその建設残土を当地に積み上げた事から土原という名が付いたと言われていますが、松本川河口の土取り場だった事から土原と呼ばれていたという説もあります。この土原も萩城下では武家町の一つで、主に中下級武士が住み、元禄8年の記録では城下の侍屋敷のうちの約1/4にあたる318軒がこの土原にあったとあります。
明治初期に川島村の土原地区が分村して土原村となり、明治22年に萩町(現在の萩市)の一部となって今に至ります。
奥平家長屋門
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