2003年に徳山市、新南陽市、熊毛町と合併して周南市となった、旧都濃郡鹿野町は、県内最大の河川である錦川の上流端にあたり、また県下有数の積雪地域でもあります。
中国山地の中央部に位置する町ですが、中国自動車道の鹿野ICが町の中心近くにあり、また陰陽を結ぶ国道315号線が町を南北に貫いています。国道は町の西側をバイパスしており、旧道沿いに鹿野の中心市街が形成されています。
このように古くから東西南北に街道が交差する要衝であった鹿野には、鹿野市と呼ばれる市が江戸時代中期から毎月3の日に開かれ、やがて周辺山間部の物資集散地として発展していきます。この在郷町鹿野を通る陰陽連絡道は要人の通過も多く、本陣も置かれた宿場町的な性格も持っていました。町には南北に走るメインストリートが2本併走してして、小さな城下町の様にも見えます。東側の通りには江戸時代から明治時代の建物で、また比較的大きな旧家の屋敷が多く見られる一方、西側の通りは古くても昭和以降の建物で、おそらく戦前に作られた最初のバイパスなのかも知れません。町中には赤茶色の瓦屋根も多くみられ、石見地方との結びつきも見る事ができました。
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