昭和29年に美祢郡4町村・ 大田町・赤郷村・綾木村・真長田村が合併によって生まれた美東町は南北に細長い町で、日本最大のカルスト台地である秋吉台の麓に位置し、町の中央を陰陽連絡する国道が交差する要衝です。また南東部に山口市や小郡町(現・山口市)に接する美東町は美祢郡の玄関口でもあります。この美東町の中心地が旧大田町の中心だった大田で、長きに渡り美東地域の中心地として位置付けられた町並みが今も残ります。
この大田地区は古来よりその名が知られ、奈良時代には地内の長登(ながのぼり)銅山が奈良東大寺大仏鋳造のための銅を産出していたと云われています。さらに寛永年間には町内の銭屋に寛永通宝の鋳銭所が開かれるなど、古くから銅の産地として栄えた町でした。江戸時代になると大田には萩藩の代官所(勘場)が置かれますが、この代官所は藩主が領内視察や狩猟の際に休憩する本陣(御茶屋)も兼ねていたので御茶屋勘場と呼ばれていました。明治に入ると大田には美祢郡役所や大田警察所、裁判所、税務署等が置かれ、この美東地域における行政の中心地となります。
大田の町を縦貫する道は船木街道と呼ばれ、今なお宿場町そして在郷町の面影を残していました。
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