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東城市街から北西へ約15km。かつて東城往来とも呼ばれた国道314号線で中国山地に分け入っていくと、やがて広大に開けた盆地にでます。
盆地の中央を成羽川が流れ、JR芸備線の小奴可駅もあるこの地は、古代奴可郡の時代から郡内最大の穀倉地帯であり、同郡の郡庁が置かれていたとされています。
奴可郡は平安期に奴可西条と奴可東条に分けられ、現在の比婆郡西城町と東城町へとつながります。
近世の小奴可は東城街道の宿場町として発展しました。現在も市場の字が残る旧道沿いに街村形態の集落が残り、往時を偲ばせます。またこのあたりは古くから砂鉄採集が盛んな地であり、小奴可では市も立って賑わっていました。
東城往来はこの先、三坂宿で出雲方面へ至る道と伯耆方面へ至る道(日野往来)に分かれます。
その為、江戸時代には国境をひかえた要地として番所が置かれていました。国境に最も近い三坂宿では無く、この小奴可に番所が置かれていたのは、古くからの行政・経済の中心地であった事を意味しています。 |
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成羽川の両岸には大きな屋敷が佇みます |
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