倉敷の郊外、水島臨海工業地帯の東の端に、本土と埋立地に挟まれた細長い運河のような入江がありまして、その根本に、かつては港町そして漁村集落として栄えた呼松という集落があります。
古くは松ノ浦と呼ばれた漁村で、高瀬川の河口に位置することから、明治期からは水運と海運の要衝として繁栄しました。さらに四国の金刀比羅宮への参詣客もここか船で瀬戸内海を行き来していて、今では想像できないほどに、活気があったようです。
しかし、干潮時の干潟化や河口ゆえの土砂の堆積によって港としての機能は次第に衰え、やがて大正期には下津井や味野、宇野などにその機能が移されていきます。
以後は漁村として細々と生活をおこなっていましたが、周辺コンビナートの開発とそこからはき出される工業廃水によって、一帯の海は汚染され、漁港としても幕を下ろしたのです。
集落は陸地側、鴨ヶ辻山の西麓に細長く形成されています。目抜き通りはかつての商店街で(今も商店街ですが)多くは仕舞屋になっているものの、町並みの規模や建物の造りに往時の繁栄ぶりを垣間見ることができます。
建物はいずれもこの呼松が、漁村から商業町へと変化した明治・大正期以降に建てられたものです。
かつて繁栄していた古い町に欠かすことのできない、造り酒屋もこの呼松にあります。幕末の安政2年(1773)創業の中田酒造で、全国新酒艦評会通算17回の受賞を誇り、県外にもその名が知られているほどの蔵でしたが、残念ながら平成21年12月に300年の歴史に幕を下ろしてしまいました。
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