ある日、偶然の仕事がきっかけで、生まれて初めて「吟醸酒」という日本酒を口にしまし
た。それは・・・それまで日本酒というものに対して、まるで無知無関心だった私を開眼させ、その後の人生を左右する運命的な出会いであると供に新たな冒険心の始まりでもありました。日本酒の歴史や文化、製造工程などを調べていくうちに「地酒」と「酒蔵」という存在をあらためて知ることになります。日本全国に2000軒以上はあろうと言われるう「酒蔵」。”さかぐら”その響きがまたいい。「土地の味」「土地の文化」。
古くは江戸時代から代々受け継いできた「蔵の味」「蔵の文化」。
「地の米・地の水・地の空気」「食文化」
古来から日本は「米の国」。米が通貨として流通し経済を動かしていた国でした。古代宗教から武家社会まで、歴史を語るには「米」をなくしては語れません。米はまさに日本の文化そのもの。そして、その米から生み出される「酒」もです。
江戸時代から圧倒的な生産量を誇る灘や京など西日本の酒が全国を席巻しました。いわゆる「下りもの」がもてはやされた時代。それは当然ながら人々の舌の支持無くしてはあり得なかったのですが、しかしそれでも当時は日本全国の消費者全てへ行き届くほどの生産量は無く、また、品質を保ったまま日本の隅々まで届ける流通手段もありませんでした。
そうした中で、全国各地の「米どころ」や城下町などでは地酒造りが行われ、長い時代を超えて現在まで受け継がれてきたのです。
ところが近年の低コスト酒人気に加え、日本人が日本酒を敬遠し、そして飲まなくなったという衝撃的な理由により、一時は5,000軒ちかくあった酒蔵も、今はその半分以下にまで減りました。
交通網の発展は国内の移動を時間的に狭くし、それにより全国の地酒蔵は「人気のある味」を造るための材料を手にすることが可能になりました。しかしそれは「地の味」というものを捨て、全国一律の味をもった「日本酒」を造ることを可能にしたのですが、結果それが地方の酒蔵の首を自ら絞める要因となってしまいました。
同じ味なら大手メーカーの大量生産による安定した品質と味、そしてスケールメリットによる低価格にかなうはずがありません。
最近になり、酒蔵の若い後継者などを中心に「地の味」の復権が起こってきています。きっかけはある新潟の銘酒が起こした「地酒ブーム」でした。とは言うものの日本人の日本酒離れが起きているなかで、経営を安定させる事ができる酒蔵はほんの一握りしかありません。
高品質、少量生産の酒を売り出すには、酒を造る「人と技術」だけでなく、商品開発力やマーケティング力が求められるようになりました。一方で近年、海外での日本食ブームによって日本酒の評価が高まり、高品質な日本酒が求められるという現象によって、国外市場に活路を見いだす酒蔵も増えてきました。海外で受賞し、その評価を引き下げての国内販売など。
東京のスーパーや有名デパートに並ぶ地酒の「酒蔵」を訪ねると、山里でひっそりと佇む小さな酒蔵に驚いたり、かつての宿場町に構える築200年以上の重厚な土蔵造りの店蔵に一歩足を踏み入れると、そこには極めてハイセンスな店造りや、ブランドの創造がなされてていたりと、蔵の努力に驚かされる事が多々あります。
昔から「酒造家」というものは、原材料の生産地や物資の集散する土地の豪農や豪商など有力者な資産家が多く、ゆえにその店舗や酒蔵などの建物は文化財クラスのものが少なくありません。今に残る城下町や宿場町の遺構を残す古い街並みにおいては、旧家の酒蔵がその中核となっている事が多く、旅における「酒蔵巡り」と「古い街並み巡り」はほぼ踏襲しています。
「酒蔵あるところに街並みあり」
いま「地酒」を醸す酒蔵が消えていくその早さは「古い町並み」が失われていく、早さに通じるものがあります。 旅の道中においては、ひとつの酒蔵で4合酒1本くらいしか買うことができませんが、追って全国の酒蔵を紹介するページも作っていければと思っています。