一路一会>鉄道の旅・鉄路一会>青春18キップで廻る・山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅(3) | |||||||||
青春18キップで廻る 山陰山陽じぐざぐ鉄道の旅 |
|||||||||
2 |
|||||||||
木次線は備後落合から宍道間の81.9km、奥出雲の17駅を結ぶ路線である。大正5年に宍道〜木次間で開通した私鉄の簸上(ひのかみ)鉄道がその前身で、残りの他の区間は国によって建設され、昭和9年に買収国有化された。ちなみに斐伊川は古くは簸川と呼ばれていた。 やがて汽笛と共に木次線がやってきた。木次線の車両は今までと同じキハ120系だが、車体はステンレス製では無く鋼製で、全塗装されている。これはキハ120系の先行車両なのだ。ちなみにその後の車両はみなステンレス製となっている。備後落合駅の1番線が木次線のホームだ。列車からは意外にどっと乗客が降りてきた。家族づれ有り、それ以外も。何人かは駅で降りる事無く、接続する芸備線に乗り込んでいったが、乗客の多くはずっと列車と記念写真を撮っていた。おそらく、いや確実に木次線に乗ることを目的に、このまま折り返すのだろう。
|
|||||||||
出雲横田では35分ほどの停車。出雲横田は下横田川に斐伊川、蔵屋川をはじめ大小の支流が合流する場所に開けた町で、河港町であるとともに宿場町でもある交通の要衝として形成され発展した町だ。現在の町は小さく、人口も少ないがそれでも町の成り立ちを十分に伺い知ることできる佇まいを残している。駅舎は大社風。この町はそろばんの生産では日本一だという。 亀嵩駅は松本清張の「砂の器」の映画化で知られるようになったが、今では委託された駅のそば屋で有名。 この駅で運転手は若い新人に変わった。しかも教官付きである。木次から先は平野部である事もあって列車は軽快に走る、その上生活圏でもあるので、車内の乗車率及び、乗客の乗り降りも多くなった。 |
|||||||||