旧・本城村の南端の集落で、中世の城下町から江戸期に北国西街道の宿場町として栄えた会田宿と対峙する、同街道の難所虚空蔵山「立峠」北麓の集落が乱橋です。
地名の由来は定かではなく、「阿陀の橋」「みたらし」などとも記されており、一時はその地名を嫌ってか、反対の「静橋」とした時期もありましたが、長続きはしなかったようです。
周囲を山に囲まれ、どこへ出るにも峠越えが必要な集落です。主な峠に牛峠、花河原峠、中峠、立峠、古峠、風越峠などがあります。立峠は北国西街道で、最古の峠道とされる古峠は古代官道であったと言われています。そして現在、風越峠が県道として継承され交通の中心となっています。
また集落の西側山中を長野自動車道が立峠トンネルで通過しています。
乱橋は本城村の中心部である西条と共に、北国西街道の正式な宿場町では無く、峠越えの間の宿の扱いでしたが、難所を控えて賑わったようです。
集落は平坦部の本町に始まり、ゆるやかな勾配で中町を過ぎ、立峠へ向けて急峻な斜面に形成された上町からなります。本町・中町には伝統的な商家などの家並みが連なり、往時の面影を色濃く残しています。また急斜面の上町には茅葺き屋根の民家(現在はトタン葺き)が中心で、地形の変化と家並みの変化が興味深い集落でした。
乱橋と会田間は舗装された林道で結ばれており、車での通行は可能ですが、立峠ではなく隣りの花河原峠のルートとなります。
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