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紋屋図子
もんやずし
 三上家の路地に代表されるかつての西陣の中心地
 京都府京都市上京区(大宮通五辻上る西入)紋屋町 (大宮通-智恵光院通)
 
 
 

西陣の紋屋図子は五辻通上立売通の間、智恵光院通から大宮通へ東西に抜ける約150mほどの横路地。京都では小さな生活道路を「図子」や「路地(ろーじ)」と使い分けている。もともとは正方形が基本であった平安京の条坊制度は、やがて商業の発達と共に形を変えていきます。 少しでも多くの店舗を表面に配するために、 コ型に区画されて路地が生まれていきました。明確な基準はないものの、袋小路が路地、通り抜けているのを図子と呼ぶらしいですが、時代と共に町は姿を変えていきます。

この紋屋図子は当初「聖天の図子」とよばれ、昔は大宮通に抜けない袋小路でした。しかしそれを御寮織物司(紋屋)・井関七右衛門が私財を持ってして突き当たりの家を買い取り、路地を大宮通まで貫通させたのです。その功をたたえて彼の称号から「紋屋図子」と改称したといいます。江戸期の職人長屋を今に残す「三上家」の路地。今は陶芸家や写真家らが住む人気物件で観光客も絶えません。

江戸中期の宝暦年間には有職織物師の御寮織物司六家のうちの五家までが紋屋町棲んでいたといいます。御寮織物司というのは室町後期より宮中に収める有職織物を取り仕切った織元のこと。御寮織物司は「紋屋」と呼ばれました。三上家は紋屋町に現存するただ1軒の紋屋だそうです。

 
紋屋図子の代名詞とも言える三上家
 
三上家の表の通・紋屋図子の町並み