松本市郊外、三才山(みさやま)トンネル有料道路への途中にある稲倉集落。女鳥羽川を見下ろす段丘斜面に広がる農村集落です。稲倉は難読地名で「しなぐら」と読みます。この地域の古い言葉で「しな」は山の斜面、「くら」はV字の谷を意味するそうです。
古くは三才山(みさやま)峠を越える松本街道の宿場町でもありました。三才山峠は松本から江戸へ行く最短ルート。上田から北国街道を経て信濃追分で中山道へ合流する道筋で、現在の国道254号線が大きく踏襲しています。(佐久付近から別ルートになりますが)さらに北の稲倉峠を越えて保福寺宿から江戸街道(保福寺道)のルート、北国西街道・刈谷原宿から会田宿を経て上田城下へ出る松本街道・小県道のルートもありました。
稲倉は北の背後に山を持ち、気候に恵まれた地域でしたが、善光寺街道岡田宿への定助郷を務め、さらに中山道の長久保宿・和田宿の代助郷にも指定されたことから村は困窮に悩まされ続けたそうです。
三才山トンネルは4年の歳月と135億円の費用を投じて昭和51年(1976)に開通、上田〜松本間は従来の約半分の時間で結ばれることになり、松本ー上田ルートのメインルートの座を手に入れたのです。
|